7月15日高浜小学校では、ALTのトラビス先生とのお別れ会がありました。

最初に西島校長先生より「トラビス先生は皆さんと放課後もお話をしてくれたり、見送ってくれたり優しい先生でした。授業も楽しく、皆さんも英語が好きになったのでは。トラビス先生はアメリカの五大湖の近くのウイスコンシン州に帰ります。今後の活躍を祈ります。」とお別れの言葉がありました。

ALTお別れ1

トラビス先生からは「3年生が6年生になり、3年間が長いと思っていたが、終わりになると短い。皆さんと会えないことが寂しい。英語頑張ってくれました。」と話されました。

ALTお別れ2

最後に児童から「グッバイ ミスター トラビス」「シーユー ミスター トラビス」とお別れの言葉を述べました。

ALTお別れ3

お別れ会が終わっても名残惜しく、トラビス先生の故郷の地図を眺め質問していました。

ALTお別れ4

 高浜の伝説の紹介です。陣出原(じんでばる)と地元では呼んでいます。

『杖をつき傷を負い、戦いに敗れて逃走中の武士がここを通りかかった時、ちょうど集落総出の田植が行われていました。武士はもしあの中に紛れ込んだら、あるいは助かるかもと思い、田植をしている農民たちに「追っ手が来るので、隠してくれ」と頼み、「決して皆さんには迷惑をかけない」と言って慌てていたので、戦いの装束のまま田植え人の中に紛れ込みました。やがて追っ手の武士たちが装束姿で田植えをしている逃走中の武士を発見し、その場で武士は打たれてしまいました。

 農民たちは、武士の死を哀れみ、杖にした木を墓標代わりにしてその場に石積みをして埋葬しました。やがて杖にした木が根付き、葉が茂るようになりました。「皆さんに迷惑をかけない」と言った言葉のとおり、この不思議な木は今もって田んぼに陰をつくることがない。』そうです。

陣出原の木

高浜大庵地区にあります。高浜から河浦へ向かう新合高浜港線から下におりた数百メートルのところです。(たかはま見どころマップを参照)不思議な感覚を感じました。


陣出原の木

伝説のとおり石積みをしていて、近所の方が祀っていました。


陣出原3

近くの田んぼにいた古老の方が「昔は旧暦6月24日にまつりが催されていた」と語っていました。

旧6月24日は命日なのか、何があったのか気になりました。



 今年は梅雨の晴れ間も数える位で、うんざりと部屋のカビを眺めたと話しがありました。しみこむような霧のような雨が多く、気温が上がると不快指数が増してくるようです。

 そういうことで、海開きをしたばかりの白鶴浜海水浴場も泳ぐ人はなく、雨ばかりのせいか、掃除をしてもすぐに流木や木くずが流れ着き、海の日のクリーンアップ作戦もやり甲斐があるのではと思います。

 そんなうんざりする梅雨空の中、元気に海と遊んでいる人たちがいます。


梅雨のサーフィン
サーフィンです。白鶴浜の北側は、いつもよく波があり、夜明けから日没まで波と遊んでいる風景が見られます。


梅雨のサーフィン2
いい波を待ち続けているようです。 


梅雨のサーフィン3
白鶴浜では梅雨といわず真冬でも、若者(遠目でわかりませんが)はサーフィンと海を楽しんでいます。



 6月25日(金)の晩に、諏訪、元内峰、大庵皿山、白木、中向、宮ノ平、松下、上河内の8地区全てで地区振興会主催の「語ろう!『井戸端会議』」が開催されました。『振興会はどういうもの』『振興会が出来てからの活動の報告』を地区の役員より説明を行いました。


《諏訪地区の様子》
22諏訪井戸端会議


その後の各地区の意見では『防災無線が聞こえにくい』『西天草分署はどうなるの』『火葬場は?』『葬儀の際の生活改善について』が複数地区から意見が出ていました。


《白木地区の様子》
22白木井戸端会議


地域の発展では『高浜葡萄』の夢や『皆が楽しんで人が集まるイベント等』について意見が交わされた反面、『人口や若い人が少なくなる』ことへの危機感やそれに対応した『見守り』など意見がありました。


《中向地区の様子》
22中向井戸端会議


振興会では、今後この意見を参考に活動を進めて行きたいと思います。


《上河内地区の様子》
22上河内井戸端会議


また、8月4日(水)午後7時30分から高浜公民館で『市長と語ろう市政懇談会』が開催されます。『市民と行政の協働によるまちづくりを推進するため、直接市民皆様の意見をお聞きする』ことを目的に開催されます。皆さんのご参加をお願いします。






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