高浜の歴史~市来屋友次郎の墓(文責:松本教夫氏 前高浜地区振興会長)
嘉永三年(1850)七月九日、石州浜田浦(島根県浜田港)から鉄材を積み、肥後熊本に向う弁財天があった。
持ち船は浜田港(五万石)の特別の御用を受ける名家、廻船問屋市来屋の船であった。
出航当初はおだやかな航海であったが、八月七日平戸沖にさしかかった頃から、天候は悪くなり、肥前椛島に避難しようとしたが、船を着けることも出来ず、天草の高浜まで漂着し破船した。水主(かこ)市次郎だけ助かり、西平の光太郎の家で介抱や食事を受けた。二人は引波にさらわれ行方不明、船頭友次郎の死体だけが浜辺に打ち寄せられた。
隣峰寺の墓地には友次郎と行方不明の水主2名が葬られている。
高浜の隣峰寺
隣峰寺歴代住職の墓とともに市来屋友次郎の墓も奉られています。
市来屋友次郎の墓