2月19日高浜地区コミュニティセンターで京都府立大学の東昇先生を講師に高浜歴史文化講演会を開催しました。今回の演題は「江戸時代の高浜村、村、迫の運営と生活」でした。
村には庄屋、年寄、百姓代、筆者がいて、組頭(五人組)が組織され各迫には宿老(掛役)仁才頭や仁才がいて博打の取り締まりなどの難破船救助や出火出勤など警察や消防などの機能と今もお苦役などの言葉が残る道の補修や神社関係の行事が行われていたことが、今も受け継がれていると感じました。
慶応4年の戸数645戸で今より少し多いぐらいですが人口は約3600人で今の3倍以上で17世紀末から約4倍に増加したとのことでした。江戸後期は列強の外国船の脅威があり、白鶴浜は外国船が停泊しやすい浜であり、島原の代官所からも遠く自主防衛が迫られ高浜防衛の組織化がされたとあり、郷土の誇りである白鶴浜の視点が少し変わったように思えました。